第6話  庄 内 竿     平成15年6月21日 

釣は面白い。

昔の釣は、武士の鍛錬とは云えやはり面白かったから磯まで釣に云ったに違いない。江戸の頃の庄内では春のノッコミ時の黒鯛は決して釣らなかった。釣りたいのをじっと我慢して秋の荒食いの時節の到来を待った。

現在では竿に適する苦竹の竹藪の数が少なくなった。庄内竿に出来る良いニガタケは海から
10km程離れていて、風が比較的あたらない場所にあり、南または東南にあって、竹肌にこすり傷はなく、細くすんなりとしてしかも節間が均一で丸く丈夫で素性が良く、程々の長さがあるものとなれば中々見つかるものではない。現在では4.8m以上のものはまず見つけることは出来ない。

昔の本には、苦竹の竹藪には竹を探す武士達の足で踏み固められた道が出来ていたと云う逸話が書いてある程だ。軍学者秋保親友等はその著書野試合日記に「名竿は名刀より得難し・・・。子孫は大事に扱うべし・・・。」等と書いている。本来の仕事の暇を見つけてはせっせと竹を探して歩いていたと云う訳だ。武士の魂と云われた刀を加工して周囲の根を切る道具にした者さえ居たと云う。

竹を探してきても、直ぐには使うことは出来ない。竿の完成迄には数年かかる。2年、3年で作り上げた竿は数回の釣行で直ぐに癖が出て駄目になってしまう。そんな竿の中から使ってみて良い竿を、後世に伝えた。それが名竿である。
鶴岡では、釣に行くのに先輩が師匠となり後輩が弟子となった。師匠は弟子達に釣の技、マナーを教えた。そんな昔の武士の時代に培われた事が、最近でも生きている。

そして、鶴岡では、名竿師と云われた人たちの竿の多くは、名釣師の遺言竿として今でも弟子たちの間に大切に扱われ脈々と引き継がれ大事に使われている。